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天国の街★オーストラリア・パース市

★
オーストラリアの西海岸に位置するパース市。
鹿児島の姉妹都市でもあるこの都市は別名、『天国の街』とも呼ばれています。
本当にその通りで、私が始めてパースに着いた日、コバルトブルーの空と、エメラルドグリーンの海の色に魅了されてスゴク衝撃を受けたのをよく覚えています。
『こんな色が本当に自然に出せるの?』って思わずホストファミリーに聞いちゃった位です。まさに、絵に描いたような青さの空と海が目の前一面に広がったトキ、私はパースが一瞬で大好きになっちゃいました。
数ヶ月ココで生活してよくわかった事なのですが、この街で暮らすパース市民は、自然を守ろう!という意識が本当に高かったです。私がお世話になったホストファミリーのパパもママもオージーの友達も、みんなパースの景色が大好きで、ずっと残したい、守りたい、そう心から思っているのが伝わってきました。一人ひとりの意識が高いからこそ守られている自然だという事を改めて感じました。
pp.jpg

上の写真は『ピナクルズ』と言って世界遺産にも登録されている場所です。この異常な場所、原生林が枯れ中に堆積した石灰層だけが残ってできたそうです。
今は海岸線から数キロ離れた場所のありますが、太古の昔、この場所は全部海だったそうです。そこに根を張っていた原生林が風化して、中に残った石灰岩石だけが残ってできたこのピナクルズ。本当に『異世界』です。
そんな景色を目の前にしてわたしはただ、『スゴイ!スゴイ!』と繰り返しているだけでした。自然の偉大さに比べたら、人間って本当にちっちゃいなぁ...
まさに、地球の長い歴史を見届けてきた証なんですね。
♪

私がお世話になったお宅は子供のいない夫婦のお宅でした。そして、犬のラッキー(通称ラック)です。言葉なくてもなんか落ち着く...この家庭のそんな所が大好きでした。
本当によくしてもらいました。英語の勉強は勿論の事、色んな場所にも連れて行ってくれたし..優しく、時には厳しく、本当の子供みたいに扱ってくれた事が何よりも嬉しかった。
ここで、私が任されたお仕事は朝・夕方のラックの散歩でした。実はラックは老犬で、もうほとんど吠えないし、目も見えていません。歩くのもゆっくりだし、転んじゃったら簡単には起き上がれません。
でもパパは決して、私にラッキーの散歩を休ませる事は勧めませんでした。どんなにゆっくりでも必ず歩かせること。転んでも絶対に手助けはしないこと。ここでの数ヶ月間、私はこの仕事を一日も休まずやりきりました。ラックとは日本語か英語かよくわからない言葉で沢山話をして、散歩中にはラックのおかげで仲良くなれた人にもいっぱい出会えました。

朝学校に行く前の散歩で感じた新鮮なパースの空気や、あの青空の下で『今日も一日頑張ろう!』って思った事、そして学校から帰って来てからの散歩でみたSANSETに、キレイだねーって一緒に頬を染めた事、私はずっと忘れません。。
★

パパの、『今日もいい天気だ』って言いながら朝からビール片手にジョギングに出て行く、そんなぶっとんだ姿が好きでした。
ママの、『そんな服着れないわよー』ってパパが買って来た服を、いない時にこっそり着て、私の部屋まで見せに来る、そんな可愛い姿が好きでした。
ラックの、力ないけどマイペースで穏やかなあの表情が大好きでした。

毎朝利用するバスの運転手さんが、私がバスに乗り遅れそうになったトキ、『頑張って走って来たからのってけよ!』って言ってくれる所や、

閉店時間にお店で、お客さんをちゃっちゃと追い出して、閉店5分後位には従業員が『呑みにいくぞー!』って出てくる所や、

毎日5時には閉まっちゃうほとんどのお店。
なぜか木曜日は遅くまであいています。ママに、『なんで木曜日は遅くまであいてるの?』って聞いたら、『そんなのみんなの給料日が木曜日だからに決まってるじゃない!』って...

パースのこういう所が大好きなんです。

そういえばここで暮らした数ヶ月間、『仕事行きたくないなぁ...』って言いながら仕事に行く人一人もいなかったなぁ。
一人ひとりが自分の楽しみ方をしっています。ONとOFFがはっきりしていて、ただ普通に生活する為に仕事をして、遊びがメインで...木曜日だけちょっと贅沢なご飯を食べる。
パースはそんな街でした。

パパ、ママ、ラック、そしてパースで出会った全ての人に感謝しています。本当にありがとう☆☆
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東北第1の商港・大連★

次は大連に行った時のお話です。今回は学生時代の中国人留学生宅に、友人といったからプランが組まれていて..残念ながら、冒険できず...(泣
でも彼の用意したプランは充分充実していて大満足でした!
私は中国は北京に続く三回目の訪問だったのですが、まず大連の発展に驚きました。
ココ、本当に中国?って思うほどヨーロッパ風の建物がたくさん並び、高層ビルで囲まれていました。同じ中国でも北京とはまた違った印象を受けました。
★

しかし、やはりココは中国でした(笑
行ってすぐに車にひかれそうになり、あぁそうだった、ココは車優先の交通だった...と思っていたのもつかの間、また次のトラックにひかれそうになりました。
もう道路がめちゃくちゃです。車線なんて関係ないし(っていうかほとんど消えていて見えません)、ウィンカーなんて出さず急に曲がるからもう大変!クラクションなり放題!

もしひかれたら、たとえ歩行者の信号が青でも、渡った私が悪いんです。のろのろ歩いて渡った日にはもうサヨナラ。ちなみに私は横切る時全力疾走でしたが、まぁ道路は渡るなって事ですね。一度中国の自動車学校に通ってみたいものです。一体どんな指導してるんだ!

日本の交通って真逆です。人が優先だし、車線変更ですらウィンカーを出すのがルールです。
交通整備もあまりされていない中国、(この緩やかな山あり谷ありの道路は車内で眠るには最適です。)この国に慣れる為には相当のエネルギーが必要みたいです。

そんな私を笑顔で見守る中国人S氏。中国は犬料理あるよーなんて笑顔で言っています。。
苦笑いで始まった旅行でした。

気を取り直して、日露戦争の跡地に行きました。
日本人として、1度は行って見たかった場所でもあったのですが、やはり複雑な思いでした。
そこに向かう途中S氏に『日本語はあまりしゃべらないでね』と言われ、更に複雑な思いで向かいました。
行ってすぐ、ガイドの方が日本語で説明を始めました。きっとロシア語も話せるガイドもいるでしょう。日本人、ロシア人が残した爪痕は想像よりも遥かに深く、戦争が終わっても未だに残っていました。
私が生まれる約80年ほど前の話なのに、なぜか私は悲しい気持ちだけではなく、後ろめたい気持ちまでも感じていました。跡地の周辺にはロシア人が作ったであろう、窓が大きくてアジア人には必要以上の高さの宿舎が古いけど確かに、残っていました。
♪


大連はもともとロシアが1898年に租借して作った都市、ダルニーという名前で、大連と言う名になったのは私が生まれるたった4年前の話です。
この土地をめぐって、様々な争いを繰り返した後、やっと返還され東北第1の商港、今の大連があります。
戦争の爪痕がずっと残るのは確かに残酷ではありますが、ずっと残していかなければならないんですね。二度とこんな事が起きない為にも、中国人はずっと語り続けるでしょう。

暗い話になっちゃいましたが、他にも水族館、展望台、地下四階まである百貨店、世界第五位のゴルフ場、マッサージ、大橋など本当に沢山の場所に行きました。
毎日歩いて歩いて、歩き疲れて眠りました。
2006.9.15 056


今回、苦笑いで始まった旅は確かにその通りで、車にひかれそうになるだけでなく、5スターホテルは5スターと感じれるサービスではなかったし、何の料理であたったのかわからないけど死ぬかと思うくらい苦しんだし...散々な思いをしました。

でも大事な事に沢山気付けた気がします。
今まで当たり前に暮らしていた日本は本当に便利で素晴らしい国だって事。こんなサービス大国はどこを探しても日本だけだし、繊細な日本人の心は、人間の心の奥底の細かい所を気遣って、日本には便利なものが沢山ある。
しかし...このままでいいのでしょうか。

よく、中国は日本の戦後の姿だという話を耳にします。大連に来て、道ばたで近所の人達が集まってカードゲームのような事をしていました。ちっちゃい丸イスをおいてテーブルを囲んでいて、本当に楽しそうな顔をしていました。すごく流行っているみたいでその光景は何度も何度も目にしました。そこには、よくテレビや映画で目にする、戦後の日本の光景が広がっていました。

便利と引き換えに、日本が失ってきたモノって沢山ありますよね。家族との対話、近所付き合い...今の日本に取り戻せるでしょうか?今の日本には厳しい事かもしれません。しかし、日本が失ったもの、取り戻さないといけない事、ココに来て教えられた気がします。

そして中国人S氏。彼は自分の国について私がした全ての質問について本当に詳しく知っていました。郷土愛なのか、愛国心なのか、、、とにかく、彼は立派な国際人です。
少なくとも自分の住んでいる所は胸を張って案内できる、ココが好きだ!ココが私の生まれた街の素晴らしい所だよ!って堂々と言えるような、そんな人になりたいと強く思いました。



曇り空、高層ビル、原付、食べ歩きの街...台北☆

私が台北に行った時の話です。
私は台北に友人がいたので、フリータイムはほとんどその友人達と過ごしました。
Maggi, Penny, Ivan, Joshです。
4人ともオーストラリアの学校で知り合った大事な友達です。特にMaggiとPennyは姉妹でどこに行くにもいつも一緒でした。本当に仲良かったなぁ。
★★

まず、台北について思った事!天気が悪い...曇りか雨がほとんどで、ここには太陽なんて存在しません。その友人いわく、『今日は晴れてよかったね』っていっていましたが私にとっては、曇り空でした。

日本って本当に天気には恵まれている国です。四季も感じれる素晴らしい国ですね。私の日本人の友達は曇り空を見るだけでテンションが下がっちゃうから、きっと台湾では生活できないだろうなぁ...

そんないつ雨が降り出してもおかしくない空と、高層ビルに囲まれた台北の街。全体的にとっても暗いです。この暗い街で暮らしている人々の楽しみっていったいなんなんだろう...ぷらぷら屋台街を歩きながらそんな事を考えていました。

もともと私は訪問先では観光地に行くよりもローカルな人達がしている日常にすごく興味があります。その生活を一緒にする事によって今まで違う世界が、急に身近に感じれるようになるからですかね。
何を食べて、どんな暮らしをしているのか。
何が流行っていて、どんな遊びをしているのか。日本との違いってなんだろう?
考え出したらキリがありませんが、訪問先でこんな事を考えるのも私の楽しみの一つです。

だから私は友人が観光地のパンフレットを持ってきてくれたのにも関わらず、『いつも通りに生活してね。』と言い、とことん着いて行きました。

そして、わかった事。。。台湾人の胃袋は半端なく、デカイ!!
屋台街でちょくちょく食べ歩きながら、私は既にお腹いっぱいだったのに、なんの躊躇なくご飯屋に入って行った時には驚きました。
しかも、その後、当たり前のように隣の店に入って行きました。まだお昼なのに、ご飯屋をはしごって聞いたことないぞ!!!
☆☆


この街で暮らすタイワニーズの楽しみ、それは...
『食べる事』でした。
Maggiいわく、食べる事は台湾でのルールだそうです。さすがですね、食の街!!!
とにかくもう、食べる食べる!街中に『おいしそう!!!』が溢れていました。
コレだけ屋台が並んでいるのも、食べる事が好きな台湾人の象徴なんでしょうね。
それにしてもほっそりしたMeggiの体のどこに食べたものが蓄積されているのか。。。未だに謎です。

上を見ると沢山の高層ビルに覆われていました。地震が起きないからこそできる事ですね。友人宅から台北101が近かったという事もあり、台北101にも行ってきました。
★♪

さすが、世界一のビル!高かったー。五階フロア位まではテナントが入っていましたが、6階フロア位から99階まではぜーんぶオフィスだそうです。
エレベーターも世界最速らしく、なんと分速1010m!!
屋外展望台に登っても雲に覆われて何も見えなかったのは残念でしたけど、感覚は飛行機でした。

ハプニングも沢山ありましたが...イイですね台北。私この町好きです。
台北は小さくて、人が沢山いて、いつもこんでるイメージがあります。でもそんなゴミゴミした所も台北の魅力の一つだと思うんです。人々が自分の目的に向かって歩いている、そんな力強さがこの街にはあるような気がします。

日本の植民地だった事もあり、面影というか、日本と似ている所沢山ありました。
バイクや電化製品はほとんど日本製だし、テレビでも日本のアニメやドラマが沢山放送されています。きっとそうやって文化、芸術、食、ファッションなどの生活のいたる所に日本の要素があるからこそ、台湾人は日本人に対してとても好意的なんですね。

人は本当に温かかった。台湾人は人情味がある人が多く、知らない人でもすぐ友達になれました。

そして未だに現役で日本を話せる、おじぃちゃんおばあちゃんと話をしたら、なんだか淋しい気持ちになりました。
この人達の目に日本というもの、そして日本人はどう映っていたんだろう...帰りの飛行機の中ではそんな事を考えていました。
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